持ち帰った甲子園の土、どうしていますか?「就活で役だった」「親に捨てられた」なかには転売するケースも?〈dot.〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース 持ち帰った甲子園の土、どうしていますか?「就活で役だった」「親に捨てられた」なかには転売するケースも?〈dot.〉(AERA dot.) Yahoo!ニュース (出典:Yahoo!ニュース) |
甲子園住宅地の売価が当時坪あたり40円であった ところ、球場の土には坪あたり50円を費やしたという。 高校野球では出場選手がこの土を持ち帰ることが慣習になっている。 外野グラウンドは、フェンス際を除いて、日本のプロ野球の本拠地としては稀少となった天然芝である。開場当初は外野も土の 196キロバイト (29,847 語) - 2020年7月19日 (日) 09:08 |
プロ野球・阪神タイガースが阪神甲子園球場とともに、全国の高校3年生の球児に“甲子園の土”を入れたキーホルダーを贈ると発表したのは6月8日のこと。新型コロナウイルスの感染拡大により、夏の「全国高校野球選手権大会」の地方大会と全国大会が中止となったことを受け、矢野燿大監督を始めチーム内から「高校球児のためにできることはないか」という声があがり、実現したという。キーホルダーは8月下旬ごろから、対象となる各校に直接配送される予定だ。
今回の阪神の取り組みに対しては、「よいアイディアだ」「私も欲しい」と好意的な意見が大半だが、一部では、「土は甲子園に出場したことの証であって、土だけもらっても喜べない人もいるのでは」という声もある。2ちゃんねるの創設者であるひろゆき(43)は先月、TBSの情報番組「グッとラック!」に出演した際、「そんな土もらってうれしいのかな?」と疑問を投げかけていた。
甲子園の名物として定着している「土拾い」。そのルーツとされる1人が、「打撃の神様」と呼ばれ読売ジャイアンツで活躍した川上哲治だ。1937年夏の甲子園に熊本工の選手として出場し、土を持ち帰ったとされる。これが最初の土拾いではないか(諸説あり)と言われている。
それだけ土拾いには長い歴史があるわけだが、球児たちはどのように土を持ち帰り、その後どうしているのだろうか。
2009年夏の甲子園に横浜隼人(神奈川県)の中堅手として出場した與那覇(よなは)明さん(28)は「お世話になった方々に配りました」と話す。
「甲子園で敗れたあと、学校に帰ってから全員が拾った土を一つにまとめました。それを3年生全員に均等に振り分けて、500ミリリットルのペットボトル1本分の土をもらいました。親戚やお世話になった方々に感謝の気持ちとして配り、自分の手元に残っているのはごくわずか。母校の中学では、私の土を飾ってくれています」
今回の取材では十数人の甲子園出場経験者に話を聞いた。與那覇さんと同じように、周囲に土を配るというのが、最も多いケースだった。
そして與那覇さんはこうも話した。
「1,2年生は土をもらえていませんでした。『まだ来年以降にチャンスがあるのだから、自分たちで取りに行け』ということでしょう」
與那覇さんが言うように、3年生以外が甲子園で土を拾うことを禁じたり、拾いづらい雰囲気があるという学校は多い。下級生が土を拾うということは、「もう一度甲子園に来るつもりがない」と捉えられてしまうからだ。
しかし、甲子園に出場することが容易ではないことは言うまでもない。地方予選は一発勝負のトーナメントであり、甲子園常連校であっても、翌年に再び甲子園に出場できる保証などないのである。
そのため、土を拾うチャンスを逃すまいと、涙ぐましい努力をする人もいる。柏陵(千葉県)の二塁手として1999年夏の甲子園の舞台に2年生で立った三上宏太さん(37)は、「仲の良い先輩に、あらかじめ土を多めに拾ってもらうように根回しをしました」と打ち明けてくれた。
「やっぱり、もらえるときにもらっておきたいというのが正直なところでした。しかし、当時の監督はとにかく厳しい人で、土を拾えば『お前、来年にリベンジする気がないのか』と言われることがわかっていた。そのため前もって先輩に『多めに土を拾っておいてください』とお願いしました。ベンチ入りしていた他の2年生は自分で土を拾っていたのですが、予想通り監督にひどく怒られていましたね(笑)」
大会後、夏休みが明けてから、三上さんは先輩から土を譲り受けた。その土はいまも実家で保管しているという。
つづく
7/18(土) 10:00 AERA
https://news.yahoo.co.jp/articles/d91660ab68269f880354175702c0a5fd58a41aa3
写真 部屋に飾られた甲子園の土(写真:森田裕貴さん提供)
(出典 amd.c.yimg.jp)