多村 仁志(たむら ひとし、本名:多村 仁(読み同じ)、1977年3月28日 - )は、神奈川県厚木市出身の元プロ野球選手(外野手)。野球解説者。右投右打。 日本人選手として国際大会優勝、両リーグで日本シリーズ優勝、両リーグでリーグ優勝、二軍優勝、一軍選手、二軍選手、育成選手と経験した唯一の選手である。
28キロバイト (3,442 語) - 2020年5月13日 (水) 13:35



(出典 livedoor.blogimg.jp)


スペランカーなどと言われて、、
多くの怪我と戦った多村さん。。

でも本調子の時の多村は、
本当に本当にすごいバッターでしたよね!

野球の道は虹色に輝く
管理人:kanpabelle

1 砂漠のマスカレード ★ :2020/05/30(土) 05:17:49.45

70年超の球団史に刻まれた個人記録を伝える「Bレコード」。偉大なタイトルを獲得してきた往年の名プレーヤーを紹介する。



ど派手な花火が待っているから、横浜劇場は終演が見通せない。2013年5月10日、この夜も熱かった。
巨人を敵役に、最大7点差をひっくり返した大逆転劇。主演は2発のアーチで筋書きを変えた多村仁志だ。

登場したのは3─10の七回無死一塁。敗色濃厚な展開での代打だった。
追撃ののろしを上げる左翼席上段への2ランはしかし、序章に過ぎない。

1点差に迫った九回1死一、二塁。舞台は整っていた。

「ぶち込め、ぶち込め」。監督・中畑清のげきを背に、西村健太朗の151キロを振り抜く。「勝ちたい。それだけ。つないでくれたので何とかしたかった」。右翼席への一打は、野球人生で初のサヨナラ弾だった。

横浜高から1995年に入団も、98年の日本一は下積み時代。頭角を現したのは21世紀に入ってからだ。2004年に3割5厘、40本、100打点。06年にはWBC日本代表にも名を連ね、その打棒はベテランの域に入っても健在だった。

ソフトバンクを経て7季ぶりに復帰した13年に12本塁打をマーク。ただ、横浜での最後の3年間は若手が台頭しつつある変革期とあって、舞台袖で見守る時間も長かった。

22年間で通算195本のアーチを架け、肩や足でも魅せたマルチプレーヤーは、16年に中日で引退。ベイスターズが初めてクライマックス・シリーズに進出したのは、その年のことだった。

https://news.yahoo.co.jp/articles/3af5d0fcb41180102a1426e5018234cf1c7c7b14
5/30(土) 5:00配信


(出典 amd.c.yimg.jp)



(出典 Youtube)

多村 仁志 プロ入り初サヨナラHR 9回裏 2/2 2013.5.10 横浜DeNAベイスターズ vs 読売ジャイアン


(出典 Youtube)

多村仁5号同点HR 2004.04.22


(出典 Youtube)

【ОP戦】横浜DeNAベイスターズ 多村仁志満塁ホームラン


(出典 livedoor.blogimg.jp)


http://npb.jp/bis/players/41743880.html
成績


【【野球】伝説!元横浜、多村仁志、大逆転の横浜劇場を演出、中畑監督「ぶち込め、ぶち込め」1342試合 .281 195本 643打点 43盗塁】の続きを読む