野球の道は虹色に輝く@野球まとめ

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    タグ:斎藤雅樹


    斎藤 雅樹(さいとう まさき、1965年2月18日 - )は、埼玉県川口市出身の元プロ野球選手(投手)、コーチ、監督(二軍)。現在は野球解説者。 サイドスローの投球フォームで1989年から1990年代中盤まで巨人投手陣を支え、2年連続20勝、11連続完投勝利を記録、平成初の沢村栄治賞を受賞し、史上
    32キロバイト (4,273 語) - 2020年5月10日 (日) 11:53



    (出典 i.daily.jp)


    まさにスーパーエース三本柱!!

    野球の道は虹色に輝く
    管理人:kanpabelle

    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/05/28(木) 08:08:51.16

    新型コロナウイルスの感染拡大で、延期になっていたプロ野球の開幕が6月19日に決まった。セ・リーグは連覇を目指す巨人、昨年2位に躍進したDeNA、オープン戦でセ・リーグ1位の阪神、昨年の雪辱を期す広島、高津臣吾新監督を迎えたヤクルト、7年連続Bクラスからの脱出を図る中日が凌ぎを削る。野球担当記者が話す。

    「120試合制で時間制限も検討され、過密日程も予想される今年は、先発の役割が例年以上に重要になるでしょう。昨年は原辰徳監督が上手くやり繰りし、巨人が5年ぶりの優勝をしましたが、戦力的に圧倒しているわけではない。どの球団にもチャンスがあると思います」(以下同)

    巨人は今年のオープン戦16試合でわずか2勝、最下位に終わっている。昨年、2ケタ勝利は15勝の山口俊、11勝の菅野智之の2人だった。勝ち頭の山口が抜けた今季、菅野を刺激するような若手が台頭してくることが、連覇の鍵となるだろう。

    V9時代には堀内恒夫と高橋一三、1980年代には江川卓と西本聖という2枚看板がチームを引っ張っていた。1990年代になると斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄という“三本柱”が君臨。そのため、チームは安定した成績を残してきた。

    1987年限りで江川が引退し、翌年オフに西本が中日にトレードされ、元号が平成に変わった1989年、斎藤が前年の6勝から20勝と飛躍し、桑田が17勝、槙原が12勝を挙げる。巨人は日本一に輝き、3人は三本柱と呼ばれるようになる。同年からの10年間で、3人は計351勝。このあいだ、巨人は優勝を4回した。

    「実は、3人が揃って1年間、活躍したシーズンはほとんどありません。3人とも2ケタ勝利を挙げたのは1989年、1992年、1994年の3度だけです。このうち、2度は優勝しています。

    ただし、1989年はオールスター直後に槙原がケガで離脱。1992年は桑田がチームの10連勝や7連勝を止めてしまい、連勝ストッパーと呼ばれるほど絶不調に。槙原も優勝争いの9月、10月で1勝もできず、チームは2位に終わりました。1994年は3人ともシーズンを通して働き、中日との最終戦、同率首位決戦で槙原・斎藤・桑田のリレーで勝った。この年、“三本柱”の印象が強くなったのだと思います」

    優勝した1990年は槙原がケガで戦列を離れており、4位に沈んだ1991年は前年まで2年連続20勝の斎藤が9勝に終わった。1993年はリーグ最下位のチーム打率2割3分8厘という打線の不振もあり、斎藤と桑田が1ケタ勝利に。1995年5月には桑田がヒジを痛め、翌シーズンまで棒に振った。

    「広島との11.5ゲーム差をひっくり返した1996年は、桑田だけでなく槙原も夏場に離脱しています。この年は斎藤とガルベスが16勝で最多勝を分け合い、“メークドラマ”を達成した。1997年の開幕戦で、斎藤がヤクルトの小早川毅彦に3連発を打たれ、このシーズンから全盛期ほどの活躍はできなくなります。翌年は斎藤10勝、桑田16勝でしたが、槙原はシーズン途中から抑えに回った。3人が先発ローテーションに入っていたのは、この年の中盤までです」

    3人同時に活躍したシーズンが少なかったとはいえ、1989年から1998年までの11年間で見ると、2ケタ勝利は斎藤が8回、桑田が7回、槙原が6回。3人同時の2ケタ勝利は前述のように3回、2人同時は5回、1人だけは2回。少なくとも三本柱のうち、1人はエースの役割を果たしていたのだ。この10年で、巨人のBクラスは2回のみ。甲乙つけがたい“エース級”が3人いたことで、大崩れしなかった。

    「3人のうち1人ダメでも、2人残っているという安心感が、首脳陣にも本人たちにもファンにもあったのではないでしょうか。その象徴が1994年の10・8決戦。先発の槙原は打たれたが、斎藤と桑田が好投して勝った。日本シリーズでは、槙原が2勝してMVPになって雪辱を晴らした。1人のエースが10年間、ケガなく絶好調を続けられることは、まずない。3人の誰がエースかという議論もありますが、この数字を見ると、お互いがお互いを助け合っており、まさに“三本柱”という表現がピッタリ当てはまるのではないでしょうか」

    これまでの実績を踏まえると、今年の巨人で2ケタ勝利を計算できるのは菅野しかいない。もし菅野が崩れると、ガタガタと大型連敗の可能性すらある。1990年代のように三本柱を形成するのは難しくとも、2年目の高橋優貴や戸郷翔征のような若手の台頭に期待したい。

    https://news.livedoor.com/article/detail/18323824/
    2020年5月27日 16時5分 NEWSポストセブン


    【【野球】エース3枚!巨人に斎藤、槙原、桑田の“三本柱”が揃っていた時代】の続きを読む


    一般社団法人日本プロ野球名球会(にっぽんプロやきゅうめいきゅうかい、英名: Golden Players Club)は、日本のプロ野球でプレーした選手および元選手による法人格をもった団体である。通称:名球会(めいきゅうかい)。現在の理事長は山本浩二、顧問は長嶋茂雄と王貞治。
    41キロバイト (3,914 語) - 2020年3月12日 (木) 11:32



    (出典 img.topics.smt.news.goo.ne.jp)


    斎藤雅樹の投球集

    (出典 Youtube)


    いやいや、現代野球で200勝はハードルが高すぎなんですよね。。。

    野手でいえば2500安打ぐらいには匹敵すると思います。

    野球の道は虹色に輝く
    管理人:kanpabelle

    1 砂漠のマスカレード ★ :2020/04/09(Thu) 19:16:15

    名球会入りのハードルは高い。プロ野球界で大きなインパクトを残してきた大エースたちが入会資格の通算200勝に届かなかったケースは珍しくない。
    杉浦忠、斎藤雅樹、石井一久……惜しくも200勝に届かなかった投手たちを振り返ってみよう。

    岡田彰布コラム「対戦した中での剛腕投手は何と言っても江川さんやった」

    名球会入りの200勝に届かなかった「意外な投手」たちとは?

    巨人・江川卓
    ・江川卓(元巨人)
    266試合登板 135勝72敗3セーブ 防御率3.02

    現役通算135勝が物足りなく感じるのは高校時代の衝撃が大きかっただろう。作新学院高でセンバツの一大会通算最多奪三振60個、8者連続奪三振、春夏通じて甲子園で奪三振率14.0と驚異的な記録を残した。
    当時はスピードガンがなかったが、「160キロを超えた」と対戦した打者が口をそろえるほどだった。2度のドラフト拒否を経て社会問題になった「江川事件」で巨人に電撃入団。
    最多勝を2度獲得するなど入団2年目から8年連続2ケタ勝利と白星を重ねたが、9年目のオフに右肩の故障が限界に達したと引退を発表。日本中が驚いた。

    名球会入りの200勝に届かなかった「意外な投手」たちとは?
    南海・杉浦忠
    ・杉浦忠(元南海) 
    577試合登板 187勝106敗 防御率2.39

    「史上最強のアンダースロー」と呼ばれ、新人で開幕投手を務めて27勝をマーク。2年目は38勝4敗でリーグ優勝に貢献してMVPを獲得し、日本シリーズの巨人戦では第1戦から4連投し、4連勝の大活躍で南海を初の日本一に導いた。
    プロ入りから3年1カ月で史上最速の通算100勝に到達し、プロ7年目までに164勝をマークするが右腕の血行障害で握力は大きく低下。何度も引退を考えたが周囲の慰留もあり、その後は主に救援で活躍。プロ13年間を駆け抜けた。

    名球会入りの200勝に届かなかった「意外な投手」たちとは?
    西武・西口文也
    ・西口文也(元西武) 
    436試合登板 182勝118敗6セーブ 防御率3.73

     縦に落ちるスライダーを武器に2度の最多勝を獲得、2ケタ勝利を10度マークした。
    200勝も射程圏内に入っていたが、現役時代の終盤は右肩痛に悩まされて13年から3年連続未勝利で現役引退を決断した。平成のパ・リーグを代表する投手として名前が挙がるが、ノーヒットノーラン、
    完全試合まであと一歩で逃したことが3度もあり、日本シリーズも7回登板したが0勝5敗で一度も勝つことができず、ツキのなさも話題になった。

    ・斎藤雅樹(元巨人) 
    426試合登板 180勝96敗11セーブ 防御率2.77

    「平成史上最強の投手」の呼び声高く、抜群の安定感を誇った。入団後に当時の藤田元司監督の助言でオーバースローからサイドスローに転向すると素質が開花。
    巨人の絶対的エースとして2年連続20勝、11連続完投勝利を記録するなど、史上4人目の沢村栄治賞を3回受賞した。
    サイドスローからのキレ味鋭いスライダーと伸び上がる速球が武器だったが、現役時代の終盤は右腕の故障に加え、足の内転筋の故障などで球威が衰えて登板機会が減少。
    体力の限界でプロ20年目を目前に現役引退を決断した。

    ・石井一久(元ヤクルト、MLBドジャース、メッツ、西武)
    NPB 419試合登板 143勝103敗1セーブ 防御率3.63
    MLB 105試合登板  39勝34敗  防御率4.44

    150キロを超える直球と、カーブと見間違える大きな変化のスライダーを武器に三振の山を築いた。
    自己最多の14勝を挙げた98年にはシーズン三振奪取率11.047の日本新記録を樹立。
    一方で暴投も多く、荒れ球が打者の脅威だった。個性的な性格も注目され、テレビ番組に当時出演した際は「サッカーをやりたかった」などと発言して大きな反響を呼んだ。
    日米通算182勝をマーク。「まだやれる」という声もあったが、200勝に全く固執することなく現役引退した。
     

    https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200409-00000004-baseballo-base&p=2
    4/9(木) 11:02配信

    http://npb.jp/bis/history/ltp_w.html

    https://cdn17.imgs.jp/yakyutaro.jp/image/news_image.php

    (出典 img.topics.smt.news.goo.ne.jp)


    (出典 blogimg.goo.ne.jp)

    https://cdn18.imgs.jp/yakyutaro.jp/image/news_image.php
    https://column.sp.baseball.findfriends.jp/show_img.php


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