野球の道は虹色に輝く@野球まとめ

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    タグ:高木守道


    井端 弘和(いばた ひろかず、1975年5月12日 - )は、神奈川県川崎市川崎区出身の元プロ野球選手(内野手、右投右打)、コーチ、野球解説者、野球評論家、YouTuber。中日ドラゴンズ時代は同僚の荒木雅博と共に「アライバコンビ」の愛称で親しまれた。妻は元テレビ朝日アナウンサーの河野明子。
    42キロバイト (4,297 語) - 2020年1月7日 (火) 17:35



    (出典 image.space.rakuten.co.jp)


    大暴れして、その後監督に謝りに行った井端に対して、

    『オレなんか試合途中に帰ったこともあるんだから、いちいち気にするな』

    って。
    高木守道さんの言葉がいいよね!

    野球の道は虹色に輝く
    管理人:kanpabelle

    1 THE FURYφ ★ :2020/01/18(土) 19:10:51

    中日、巨人で活躍した井端弘和氏(44)が18日、急性心不全で死去した高木守道さんをしのび、思い出を語った。
    井端氏が忘れられない出来事は、高木第2次政権だった2013年5月15日の日本ハム戦。7回2死二塁、稲葉の中前への
    同点打の処理に関して、高木監督は中継に入らなかった井端の守備に激高。本来は一塁手のクラークが入ることに
    なっており、井端もこれに反発した。帽子を脱ぎ捨てベンチ裏で消えると、壁を蹴り上げて大騒動となり、この模様が
    テレビ中継でも流された事件だ。

    井端氏は「プレーに関しては、今も自分の判断に自信を持っている」と前置きしながらも「ボクも冷静さを欠いたので
    監督に謝りにいったら、高木さんは『オレなんか試合途中に帰ったこともあるんだから、いちいち気にするな』と…。
    本当に心の広い方だなと実感しました」と振り返った。

    2012年に監督に復帰した高木さんは、その井端氏を二塁から遊撃へ再コンバートすることを決断。井端氏は「ボクはもう一度、
    ショートをやりたいという気持ちがあったので察知してくれたのではないかなと…。気持ちを奮い立たせてくれたことに
    感謝しかないです」と感慨深げに語った。

    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200118-00010042-chuspo-base


    【【野球】中日・井端弘和が大暴れ!高木守道監督との一触即発事件を振り返る「ベンチで帽子を投げ捨て、壁を蹴りあげる大騒動!」】の続きを読む


    高木 守道(たかぎ もりみち、1941年7月17日 - 2020年1月17日)は、プロ野球選手(内野手)・監督、野球解説者。愛知県名古屋市生まれ、岐阜県岐阜市育ち。 現役時代は中日ドラゴンズで活躍し、引退後はコーチ・監督を歴任した。初代・西沢道夫、3代目・立浪和義とともに、2代目「ミスタードラゴンズ」と呼ばれる。
    42キロバイト (5,629 語) - 2020年1月17日 (金) 13:27



    (出典 livedoor.blogimg.jp)


    衝撃です。
    とても悲しい衝撃です。

    ドラゴンズの指揮官として元気にグラウンドで采配をふるわれていたのが、つい先日のように感じます。

    最近もテレビ解説やラジオなどにも出演されていてお元気だったのに・・・・。

    まだ早いですよ、残念です。。。

    野球の道は虹色に輝く
    管理人:kanpabelle

    1 1号 ★ :2020/01/17(金) 21:44:22

     現役時代は中日の名二塁手として活躍し「ミスタードラゴンズ」と称された中日元監督の高木守道さんが17日、急性心不全のため名古屋市内で死去した。78歳だった。葬儀は家族葬で営まれる。

     2013年限りで中日の監督を退任していた高木さんは、ここまで大きな持病もなく元気に過ごしていた。今月12日には名古屋市のCBCラジオ「坂東サンデー」に出演。パーソナリィーで親友の板東英二さんとともに現役時代の思い出話を披露。同番組では来月15日に名古屋市内でイベントすることも告知されていた。

    ▼高木守道(たかぎ・もりみち) 1941(昭和16)年7月17日生まれ。岐阜市出身。県岐阜商から1960年に中日入団。同年5月7日の大洋戦で初打席初本塁打デビュー。63年に50盗塁をマークして盗塁王となり、以降65年、73年と計3度の盗塁王に輝いた。77年の4打数連続本塁打はプロ野球タイ記録。二塁手としてベストナイン7度、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)3度。球宴出場4度。80年に現役引退。81年から中日コーチ、84、85年2軍監督。86年はコーチを務め、同年7月5日からシーズン終了まで代理監督を務めた。92年に中日監督に就任し、95年まで指揮を執るがシーズン途中で辞任。12、13年と再び中日監督を務めた。06年野球殿堂入り。現役時代は174センチ、72キロ、右投げ右打ち。

    2020年1月17日 21時37分
    https://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/202001/CK2020011702100078.html


    【【野球】中日・高木守道氏が心不全で急死。2013年まで監督を務め、現役時代は1番セカンドでチームを支えた】の続きを読む

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