>>1
近藤唯之の本より(うろ覚え)
片腕(左?)の方が少し長くて、おかげで華麗な本塁打を連発出来たが
晩年はその腕が仇になって内角がしんどくなって引退を決意、
が一応定説じゃんよ
さらに同じ2月25日のサンケイスポーツは【田淵もカゼダウン】【広岡監督大誤算】の見出しと共に辛そうに鼻をすする田淵さんの姿が一面を飾っている。記事中では田淵さんの症状は「鼻カゼ」と表現されているが、当の本人は普通の風邪とは明らかに違う症状に苦しみを味わっていたのである。
「それで病院に行ったら、季節性アレルギー性鼻炎、つまり花粉症だって言うんだよ。初めて聞いた病名だから“何それ?”って感じだよね。でも検査してみると間違いなくスギ花粉アレルギーだと。しかし原因がわかったところで目はショボショボするし鼻水は垂れるから、錠剤や目薬で何とか抑えるしかないわけ。だからオレは七つ道具を肌身離さず持っていたんだ。目薬数種類と点鼻薬、ティッシュにマスク……。さすがにプレー中にマスクはできないけど、目薬は常にユニフォームのポケットに入れていたよ。で、ベンチにいる間はずっとティッシュで鼻をかみっぱなし。何せティッシュを1日1箱、2箱と平気で使っちゃうんだから。あれは辛かったなあ」
昔は理解されず辛かっただろうな
ああ、これはもう今年いっぱいだな”
当時花粉症が珍しい疾患だったことや、田淵さんのキャラクターも相まって、4コマ漫画で花粉症をネタにされたり、週刊誌やスポーツ紙に奇病扱いされて面白おかしく書かれたこともある。そういう周囲の理解のなさに腹が立ったことはないのだろうか。
「まあ、あの頃は他にもいろいろ書かれたし、スポーツ新聞は何かというとオレと広岡さんの仲を書き立てていたから……。今は広岡さんとは仲良いんだよ。毎年2月9日の広岡さんの誕生日にはちゃんと“おめでとうございます”と電話するくらいにね(笑)。でも思えば、オレが昭和59年に引退を決めたのは花粉症が原因よ。特にあの年はキャンプ中から症状がひどかった。開幕して5月頃になっても治まらなくて、次第に闘争心もなくなって“ああ、これはもう今年いっぱいだな”と」
前年、昭和58年は夏場に死球で離脱するまでホームラン王争いのトップを独走し、打率.293、30本塁打をマーク。巨人との日本シリーズでも優秀選手賞を獲得した田淵さんだが、翌59年は開幕から不調に陥っていた。ちょうどその頃、週刊文春の昭和59年4月12日号で田淵さんは花粉症についてこう話しているのだ。
“いやー、はな水が自然に出て、鼻がむずがゆくて、むずがゆくて……。水っけの多いはな水で、ひとりでに出てくるんです。何かを見ても、焦点が定まらなくて、ボケーッとしているんです。*んでいる感じですね。本当に往生していますわ”
“ものを食べてもおいしくないし、においもまったくわからない。味が消されているんですから、食べてもおいしくないはずですよ。(中略)打撲とか外傷の方が気が楽ですよ。時間がたてば完治するんですからね。こういうのが一番タチが悪い。風邪だって、摂生すればある程度は防げるでしょう。しかしこればっかりは、いくら摂生してもどうしようもない。誰のせいでもないから、誰にあたることもできない。これはつらいんですよね”
“こんな気持で開幕を迎えたのは、十六年の選手生活で初めてですよ。集中力がまったくなくなり、気持がのんべんだらりとする。もう、選手にとって大敵ですよ(クシュン)”
現役引退後も症状は治まらず……
田淵さんは、花粉症患者の中でもかなり重症の部類だったのだろう。この年、打率.230、14本塁打に終わった田淵さんは16年間の選手生活にピリオドを打つわけだが、花粉症の発症後はまだ屋根がなく、周囲を林に囲まれ、なおかつ秩父おろしの風が吹く西武球場の環境もかなりしんどかったのではないだろうか。
「まあ、それも一因だと思うよ。だからオレより少し後に秋山(幸二)も花粉症に罹って苦しんでいた。もっと後になったらゴジラ松井(秀喜)も春先は辛そうだったし、巨人の江川(卓)もそう。でも球界ではオレが一番最初の花粉症患者よ。昔、何かの事典の花粉症の項目に“田淵幸一が発症したことから世に知られるようになった”って出ていたらしいから(笑)。でも当時は何しろ情報が少ないから、いろんな先生に話を聞いたり、本を読んで勉強したりと、藁をも掴む思いで症状を良くしようと必死だったよね。人づてにコーヒーが花粉症に効くと聞けば試したし、あとは鼻から水を入れて口から出して、鼻の通りを良くする方法も人から勧められた。さすがにそれだけは試す勇気が出なかったなあ」
現役を引退して評論家になってからも、花粉症は田淵さんを悩ませた。
「現役時代は西武球場に近い所沢に住んでいたけど、評論家になって数年後に今の杉並の家に引っ越したのよ。で、引っ越して2年目の春、夜中に寝ていたら急に鼻水が止まらなくなった。ティッシュで何度かんでもとめどなく鼻水が出てきて一睡もできない。さすがにまずいと思って所沢時代にお世話になっていた病院の先生に“どうにかしてくれ”と電話して、真夜中に杉並から所沢までクルマを飛ばして、点滴を打ってもらったことがある。するとあっという間に鼻水もスッと治まるから、朝まで病院のベッドで気持ちよく眠ってまたクルマで帰っていく。そんなことが何度もあったね。あの点滴はたぶんステロイド剤だったけど、今の基準だと野球選手が打ってはいけない薬だよな。ドーピングに引っかかっちゃう」
2月といえば評論家のキャンプ地巡りの季節である。特にスギ林が周りに多い球場は、花粉症患者にとってはなかなかしんどい環境である。
「広島カープの宮崎・日南あたりはいつ行っても花粉がキツかった。ひどい時は黄色い粉が舞っているのが見えるんだから(笑)。ダイエーの監督をやっていた頃、福岡は毎年それほど花粉が辛いとは感じなかったけど、宮崎はスギ林が多くてね。でも沖縄はスギ林がないから一切症状が出ない。毎年2月の後半に沖縄のキャンプ地巡りをするけど、その1週間だけは花粉なんて何も気にせずに過ごせる。最高だよ」
近年は効き目の強い薬が出てきたこと、さらに田淵さんは主治医の助言によって毎年12月頃から薬を服用する習慣がついており、以前ほどひどい症状に悩まされることはなくなったという。
「つまり、年を取ったってことだな(笑)。オレはいち早く世間に花粉症の名を知らしめたのもそうだし、バッターに耳当てヘルメットの着用が義務づけられるようになったのも、昭和45年に広島の外木場(義郎)さんから頭にデッドボールを食らったのがきっかけ。オレがきっかけって話は結構多いんだよ。でも今考えると昭和30年代なんてヘルメットも被らずに平気で打席に立っていたんだからすごい話だよな。ある選手なんて帽子の内側に段ボールを張り付けてヘルメット代わりにしていたって言うんだから。さすがに王さん、長嶋さんは早くからヘルメットを被っていたらしいけどね」
そう朗らかに話す田淵さん。3月は全国的にスギ花粉のピーク。ちょうどこの5日、6日は東京や名古屋、大阪で花粉が大量飛散するとの予報が出ている。症状は和らいだとはいえ、まだこの時期ティッシュを手放せない偉大なホームランアーチストに、一日も早くマスクが渡ることを願うばかりである。
>>6
>鼻から水を入れて口から出して、鼻の通りを良くする方法も人から勧められた。さすがにそれだけは試す勇気が出なかったなあ
鼻うがいはした方がいいのでは
塩水じゃないと痛くなるけど
>>12
最近の研究だと鼻うがいはよくないらしい
>>28
マジかよ…
>>33
ごめん、正確には水道水を使ってはいけないだった
https://forbesjapan.com/amp/24682
俺の世代(42歳)だと花粉症と言えば西武の秋山だな。
>>7
花粉が収まる5月に調子が上がってよく打つからミスターメイだっけ
野球だったらマスクつけていてもできそう。
とくに外野手。
>>8
キャッチャーはつけとるやん
花粉症を認知させたのは田渕とか初耳にもほどがあるw
野球に興味なかったってのもあるけど花粉症自体知ったの2000年前後だもんな
>>9
80年代にはすでにあったよ。
そのころはアレルギー性鼻炎っていわれるほうがおおかったけど。
>>14
子供の頃アレルギー性鼻炎って言われてたけどあれ花粉症だったのか
>>9
2000年www
お前アホなのか?新聞もテレビもなんにも見ない人?
>>9
遅すぎ
その数年前からだわ
鼻水がコロナをブロックしてくれる
俺も今日一日中頭痛がしてボーとしてる
コロナかと思ったら風強いから花粉飛んでるんだろうなぁ
花粉症でも会社休ませてほしいよw
ヤクルトファンなら知ってる人もいると思うが、つば九郎も花粉症
あの中で鼻水と戦っていると思うと大変だよな
1001のところに行けばデブッと解決やw
この人の喋りは面白いので
ラジオいっぱい出て欲しいわ
テレビならプロ野球の副音声もいいな
>>19
本人もラジオ好きで昼間は聞きまくってるらしいね
超エロ美人の奥さん貰ったんだからいいじゃんw
花粉症ぐらいならんと世間一般と釣りあいが取れんわw
>>20
子供心にスゴくエロかったな、ジャネット八田さんは
昭和の頃はどうか分からんけど
ドーピング検査あると薬も飲めないからキツいよね
スギ花粉陽性なのに地名に入ってる
杉並区に何故引っ越すのかw
花粉症が認知されてなくて昔の人は辛かったろうな
今でもアホな事言う人がまだいるし
すべて所沢が悪い
>>25
結構山近いからな
最近は点鼻薬で相当コントロールできるからな
何なら内服いらない
がんばれタブチくん
息子も大変だないろいろと
松坂は入団してすぐ花粉症になってオーナーが寮の周りの杉の木全部切り倒させてたな
>>32
金村がラジオで言ってた、オーナーの一言で翌日には伐採
花粉症はわしが育てた
ブチは人がいいね
鼻焼けばいいのにな
西武に移籍してから急に、春の田淵=花粉症というイメージになったな
西武のキャンプ地が悪かったのか
花粉症の奴はサーフィンやればいいんだよ
治るぜ
>>39
自分はジョギングで治ったわ
20年ぐらい酷かったがジョギング始め、酷い鼻水が年に1回ぐらいになり
今はそれも無くなってしまったな
目や鼻がちょっと違和感があるってのがたまにある程度
検索したら同じような人いるみたい
自分は普段風邪でも薬飲まないので、花粉症も飲まなかった
これも影響あるかな?
花粉症の特効薬作れたら間違いなく国民的英雄
広岡と安田呼んで3人で飲んでるとこ見てみたいw
今でこそ花粉症は理解されてるけど、
田渕が現役当時なんかは
確かに理解されんかったろうなぁ。
広岡の玄米食とかでも花粉症には効き目無かったしな
かっとばせタブチくんでかわいい良妻賢母で描かれてたミヨコ夫人とドロドロの離婚劇あったんだよな…
>>44
ミヨコ、そこに座りなさい
広岡→痛風
小早川→赤痢
小学校の時に初めて聞いた病気
昔は医者も花粉症知らないのが大半だったと聞くしな
花粉症って鼻水だけじゃなくてそれに伴って微熱を持ったりしてボーとなるしな
まあ病気って自分でならないと案外大変なのはわからない物
花粉症は外出時にマスクを徹底するだけで格段に違うんだが
それを知らない人
それを親がしてあげず苦しんでる子供が
実はかなり多い
体調や病気への予防対策処置を知ればめちゃくちゃ楽になることが多い
どんな病気や症状でも病院行けばすぐ治ったのに病院怖がってずーーっと苦しんでるバカも多い
野球ヘルメットに耳ガードが付いたのは
田淵の功績
これは辛かっただろうな~
頭がボーっとするから何かに集中できないからな
あと涙が出てくるから打つ時にボールが見えにくくなったんじゃないかな
1982年のヒット曲
花粉症 沢田亜矢子
ルックルックこんにちは
江本と隠し子
風邪薬飲めば良かったのに
今でも対処療法しかないでしょう
目や鼻も辛いけど最近は肺に吸い込むと喘息みたいになるコレが辛い
巨人の松井も酷かったな
4月は打率1割台ってイメージがあった
80年代前半って本当に花粉症は世間で知られて
なかったからね
今なら本人も周囲も「季節が終わるまでしょうが
ない」って覚悟出来るけど当時はどうしていいか
分からんもん
誰のせいでもないから、誰にあたることもできない。
これが間違ってるんだよね
まぁ、誰も手出しができないんだけどね
しっかし日本は対策をしないよな
役に立たない杉をまだ植え続けて斬りもしない
生産性や精神やその他諸々かなりのマイナスになってるだろ
西武球場は花粉症持ちにとっては最悪の立地だよな
本拠地が甲子園のままだったら現役寿命も延びたのかしら
>>61
阪神のままなら糖尿病で足切断まっしぐら
いまも五体満足でいられるのは西武で鍛え直したからに他ならない
円形脱毛症というのは、田淵で知ったな
よほど、広岡にいびられていたのかな?
秋山とかも酷かった印象
>>65
ミスターメイ(4月が*だから)
シダトレンやれよ
田淵さんとか中西太さんとかは現役時代メタボだったのに、気が付けば同年代で一番長生きしている。