阪神・中野拓夢が大成功!コンバートによって成績が向上した選手まとめ

阪神・中野拓夢が大成功!コンバートによって成績が向上した選手まとめ

現在セ・パ交流戦が行われ大いに盛り上がりを見せている日本のプロ野球(NPB)。セリーグは岡田監督が復帰した阪神タイガースが開幕から好調で独走状態で6月も半分を経過しようとしています。

そんなチームを支えているのが1番近本光司選手と2番中野拓夢選手です。中野選手は3月のWBCに侍ジャパンとして選出されており、今シーズンからは戦艦度に挑戦をしています。そのコンバートで守備への不安が無くなったのか、バッティングでも良い結果を残しています。

このようにコンバートで成績が向上した選手は過去にも多くいますので、今回はその中でも特に大成功だった選手3名をご紹介していきます。

コンバートが成功した選手まとめ

コンバートで成績が向上した「コンバートが成功した」選手は数多くいますので、その中から筆者の独断で以下の3名についてまとめていきます。

  • 小笠原道大
  • 和田一浩
  • 糸井嘉男

このほかにも「鉄人」衣笠祥雄さんや山崎武司さん、福留孝介さんなど多くの人がプロ入り後コンバートを経験し、そこで記録に残る選手となっていきました。

小笠原道大

  • 出身:千葉県
  • 生年月日:1973年10月25日
  • 投打:右投左打
  • ドラフト:1996年ドラフト3位

 「ガッツ」の愛称で常にフルスイングで観客を沸かせた小笠原選手は社会人ではキャッチャーとして試合に出場していたこともあり、ファイターズ入団後もしばらくは捕手として出場していました。そして1999年に打撃を生かすためにファーストにコンバートされると、135試合の出場で打率.285・25本塁打を記録します。その翌年、2000年には打率3割(.329)・30本塁打超え(31本)という数字を残し押しも押されもせぬ球界の大打者へと成長していきます。

 2006年オフにFA権を行使し、ジャイアンツへ移籍。移籍後も4年連続で30本塁打を記録したが、統一球が導入された2011年以降は極度の不振に陥り、2015年にドラゴンズで現役を引退しました。

和田一浩

  • 出身:岐阜県
  • 生年月日:1972年6月19日
  • 投打:右投右打
  • ドラフト:1996年ドラフト4位

和田選手も社会人を経て捕手からコンバートしてブレイクした選手の1人です。捕手として西武ライオンズへ入団したものの、当時のライオンズは伊東勤さんがレギュラーとして君臨していたため、出場機会はかなり限定的でした。

2002年から外野手にコンバートすると初めて出場試合が100試合を超え、規定打席に到達。打率.319・33本塁打を記録した。この30歳になってからブレイクを果たした和田さんの活躍は、遅咲き選手の活躍が「和田曲線」と呼ばれるようになるほどのインパクトの強い現象を与えました。

2008年に地元・中日ドラゴンズに移籍し、落合政権の中心打者として「強竜ドラゴンズ」を形成し、2015年の引退までチームを引っ張り続けました。

糸井嘉男

  • 出身:京都府
  • 生年月日:1981年7月31日
  • 投打:右投左打
  • ドラフト:2003年自由獲得枠

2003年に近畿大学から北海道日本ハムファイターズに入団した糸井さんは2年間、投手としてプレーしました。最速151キロの速球投手でしたが、サインが覚えられない、連携プレーが難しいなどの理由もあり、2006年に野手へ転向しました。

2022年の引退までに最高出塁率・3回、首位打者・1回(2014年)、盗塁王1回(2016年)、ベストナイン・5回と数々のタイトルを獲得し、投手からコンバートして最も成功した選手です。特に守備面では強肩を生かし、ゴールデングラブ賞を7回受賞しています。2013年にはWBCにも選出されています。

最後に

今回はプロ入り後にコンバートし、大成功を果たした選手3名についてまとめてきました。どの選手もそのバッティングを買われて、それを活かすためにコンバートをしています。中野拓夢選手も守備が安定しバッティング(打つだけでなくフォアボールの数も今シーズンはかなり増えています)の向上が見られます。

今後も様々な方法で各選手が輝くポジションで力を発揮してもらいたいですね!

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