>>1
>江夏は南海移籍2年目の1977年、野村克也選手兼任監督
>の勧めで抑えに転向する。
事実をちゃんと書いてあるのはむしろ珍しい
江夏豊は阪神時代に長いイニングが投げられなくなり
リリーフ登板させられてベンチと対立
その結果としての南海への放出だった
トレードの時に「野球に革命を起こそうぜ」と野村に
口説かれたというのは嘘
>>1
砂漠のマスカレードは、まじめなネット工作員
この書き込みをしてる私の住所氏名を調べて
言い逃れができる巧妙な手口で脅しています
興味のある方はモ娘(鳩)はげみんと出入り禁止のスレへ
https://egg.5ch.net/test/read.cgi/zurui/1582888619/
>>1
それにしても、爽やかなライオンブルーが見事なまでに似合わない江夏
そんな指揮官と江夏のソリが合わなかったのかもしれない。
シーズン序盤は抑えとしてセーブを挙げていたが、7月26日にプロ入り初の2軍落ち。
その後、1軍から呼ばれることなく、オフに退団する。
翌春、江夏は大リーグ挑戦のために海を渡り、ミルウォーキー・ブルワーズに招待選手としてキャンプに参加。しかし、開幕メジャーの夢は叶わず、ユニフォームを脱いだ。
「もし希望球団の1つである近鉄に行っていたら、江夏の野球人生は変わっていたと思います。
近鉄の豪放磊落なチームカラーは、江夏に合っていた。
1984年から就任した岡本伊三美監督は現役時代、首位打者も獲得した黄金期の南海を支えた名選手で、人心掌握に長けていた鶴岡一人監督を尊敬していた。
後年、野村克也さんが『鶴岡さんは選手をほとんど褒めない』と否定的でしたが、鶴岡監督は選手の特徴を見抜いて使い分けていただけ。
そうじゃないと、今も歴代1位の通算1773勝をあげられません。
岡本監督は大沢親分と南海時代のチームメイトですから、そのラインで近鉄に江夏が行くことも考えられました。
しかし、根本陸夫管理部長を中心とする西武のフロントと違い、近鉄は江夏の移籍情報を察知できなかった。
岡本監督は阪神コーチ時代に2年間、江夏と接しており、彼の性格もある程度把握していた。選手の良さを引き出そうとする監督でしたから、江夏とも上手く行ったかもしれません」
1984年、近鉄の抑えは前年にヤクルトから移籍してきた鈴木康二朗が務めていた。
王貞治に756号本塁打を献上したことでも知られる鈴木は、近鉄では3年連続10セーブ以上、ヤクルトでは主に先発で2ケタ勝利3回を挙げた好投手である。
1984年、もし江夏が近鉄に移籍していれば、鈴木を先発に回す手も生まれ、チームが浮上したかもしれない。
そして数年後、前人未到だった1000登板や近鉄初の日本一に貢献していた可能性もゼロとは言えない。
西武移籍が江夏の選手寿命を縮めたことは否めないかもしれないが、翌年の大リーグ挑戦はファンに夢を与えてくれたこともまた事実である。(文中敬称略)
なぜ阪神はスター選手が流出しやすいのか
近鉄行きたいって凄いな
給料ろくにくれないのに
ほんと凄かったんだよなもうおっさんなのにあんな曲がるかって変化球
東尾見慣れてたからほんと驚いた
当時のヤクルトは終盤まで接戦に持ち込める力すらなかったから、
抑えの切り札という本来の意味での出番はなかなか来なかったと思われる
近鉄ファンだったから江夏の21球は悔しかったなあ
>>11
佐々木のファールはサード三村のグラブに当たってそれたから
本当は逆転サヨナラタイムリーで近鉄が日本一だった
リアルタイムでは知らないけど、当時現役だった人は皆一様に絶賛するね
史上最強レベルのピッチャーらしいね
>>12
でも、残念ながら殿堂入りすることはない
>>12
シーズン400奪三振はアンタッチャブルレコードの一つだからな、問題児ではあったけどそれに目をつむらせる魅力があったって事なんだろうな
>>12
平松が自分も含めて同時代の投手の中でも1人だけ次元が違ったみたいに言ってたな
夏が入る名字は江夏だけ
豆知識な
>>14
夏目、夏木・・・
>>14
夏川、夏海、夏
西武で田淵との黄金バッテリーがあったのは
知らなかった。
>>16
実現しなかった
江夏が西武に移籍した1984年、
田淵はほとんどがDHでの出場で
捕手として出場したのは1試合のみ
その試合で江夏は投げていない
>>23
ありがとう
>>16
リトル巨人くんの最終回であった気がする
柴田保光って最初西武だったんか
ハムはええの獲れたな
>>17
ええの取ったというより
ええのに化けさせた。二軍コーチだった金山が
巨人は新監督に就任したばかりの王が取りたくないとインタビューで答えてたけどな。
言葉は遠回しで「野球以前のところで騒がれるる。江夏本人がよくてもうちの選手が浮足立つ。」
と語ってたが、露骨にトラブルメーカーは厄介だと言わんばかしだった。
>>19
はっきり言って人格破綻者だからな
江夏の21球のとき、延長戦見越して北別府をブルペンに送った古葉監督を恨み続けたエピソードとか頭おかしい
その年限り1勝2敗8Sで出ていく江夏と移籍後76勝する柴田のトレードだもんな
記事にあるように巨人の戦力を削ぐためとは言え西武大損
>>21
だがそこからの方向転換は素早かった
江夏が失敗と見るや二度と一軍に上がることはなく、田淵や山崎を含めて衰えたベテランをふるいにかけた
田淵の後継は秋山幸二、山崎の後継は辻発彦、柴田と江夏の二人分の穴は郭泰源があっさり埋めた
>>42
確かに、江夏がいなくなった後の10年で9回の優勝。
損は損なんだろうけど、
それを感じさせなかった。
近鉄やヤクルトだったら誰と交換になっていたのか
>>24
無理
交換要員が居ない
むしろ関根潤三率いる大洋の方が良かったかも
関根さんなら江夏を十分操縦出来る
江夏獲得で斉藤明夫先発転向でローテーションが
安定してたはず
>>44
しょせんは妄想の話なんだから近鉄にもヤクルトにも交換要員なんていくらでもいる
当時のヤクルトは交換要員云々関係なくトレードには消極的な球団だったから日ハムがヤクルトに持ちかけていたとしても可能性は薄かっただろうね
>>44
カープのコーチ時代に衣笠を扱えた人だったな関根さん
>>44
ありなしのどっちか
と思ったけど大宮田村って捕手いてるから要らんな
>>24 >>44
83年オフ日本ハムの弱点は二塁と工藤幹夫がぶっ壊れて手薄になった投手陣
近鉄 盤石の大石とルーキー谷真一に押し出された森脇浩司(実際そのオフ広島移籍)
ヤク 二遊間にマルカーノと水谷が居て代走要員でくすぶってる羅本新二
大洋 高木豊の台頭で代打に回された基満男(84年限りで引退、大洋コーチを経て87年からハムコーチ)
どこも投手だと適当なのが見つからないのでわからない。
はじめてオールスターを見に連れて行ってもらったのが大洋の頃の川崎球場
試合内容は代打?で松原が出たときに盛り上がったくらいで全然覚えてないんだけど
出番はなかったけどブルペンで投げ込んでた江夏の豪速球だけは覚えてる
たぶん広島にいた頃だったかな
柴田は西武の頃はオーバースローのノーコン剛速球じゃなかったかな。
日本ハムに行ってスリークォーターにして成功した印象。
年上の星野にセンと呼んでブチ切れられて謝罪させられたヘタレ
>>40
仙とタメの田淵もブチって呼んでた
解説者になってからは選手を呼び捨てしないで○○君って言うようになった
>>48
学生時代は学年が全てだがプロでは年齢が全て という暗黙の了解を無視するのが稀にいる
江夏 堀内 高田繁とかは有名
金本は東北福祉大学時代は矢野をさん付けだったが、阪神時代には呼び捨て
>>61
金本は一浪してたな
>>92
監督に騙されて大学行かなかったんだよね
>>93
法政希望してて
セレクションは12月て言われて
気づいたときには8月で既に終わってた
江夏自身は俺より鈴木啓示のほうが上だと言ってるし実際にそうだと思う
草は史上最高の投手なのに語られなさすぎ
>>45
草は自分のことしか考えない人間
ベースボールは集団競技という基本概念がまるまる欠落していた
現役時代からノムや西本監督から「そんなんじゃ将来指導職に就いても誰もついて来んぞ」と散々苦言を呈され、それでも改善できなかった
>>46
江夏は
広岡監督は肉を食わずに菜食主義者なのに
なぜ痛風なんですかと
痛いところをついてしまい
広岡監督に干された
江夏って、当時のはなしをきけばきくほど、人間性に問題があった人って感じがする。
ほんと、めんどくそそうな人。
>>47
江夏のシゴキに耐えられれば師匠としては最高だと思うけどね
大野はロージンバッグの持ち方までとことん仕込まれたんだろ
けっこう殴られもしたみたいだけど
>>47
プライドに見合った実力があればいいんだけど
実力が落ちた後にプライドだけ高いと扱いにくいよね。
日ハム時代の江夏は救援失敗も多かったでしょ。
江夏が1984年近鉄なら、
先発 鈴木啓示
抑え 江夏豊
濃すぎるな。
お互い仲が良かったらしいし、選手寿命が延びたかも。
>>51
江夏も鈴木も速球派のイメージだけど、コントロールも抜群に良かったらしいな。
球が速くてコントロールの良いサウスポーってどないせいっちゅうんや…
西武に行った頃には江夏か落合かってくらい腹が出てた
>>59
江夏豊は心臓疾患を理由に一切走らなかったから
江夏、鈴木啓、門田、落合・・・
大投手や大打者は偏屈な変人ばかり
>>67
西武グループ創業者の堤康次郎によると
優秀は人は変人である場合が多いんだって。
江夏がメジャー挑戦した時毎日朝のワイドショーで取り上げてなかった?
なんか第一関門突破みたいな
>>68
最終テストでピンチの場面でレジージャクソンを抑えればメジャー確定だったらしい
でも、勝負球じゃない様子見の球をポテンピット打たれて失点しちゃったんだよな・・・・
>>83
まあそれはあくまで脚色で引退寸前のロートル日本人にメジャー枠なんか与えるわけがなかったけどね
昔、広島カープの選手を東京駅で見た時、俺は広島のヤクザが東京に攻めてきたのかと思った。
新幹線の扉が開くと、
まず先導という形でチンピラ風貌の長島清幸が降りてくる。
続いて若手筆頭といった感じの高橋慶彦が降りてきて、
次にパンチパーマに細身のスーツという出で立ちで
幹部という雰囲気の山本浩二や江夏豊が降りてくる。
最後に金色のネックレスを光らせながら鋭い眼光を飛ばす組長
という感じの衣笠祥雄が降り立った時は俺はもう東京は終わったと思った。
1984年の近鉄の基本スタメンって大体こんな感じだっけ
4 大石大二郎
8 平野光泰
D 加藤英
9 デービス
5 羽田耕一
7 栗橋茂
3 小川亨
2 有田or梨田
6 吹石徳一
江夏一人入っても厳しいかな・・
>>74
名前は知られた選手ばかりなんだけど、
大石を除いて峠を過ぎていたかな。
>>74
マネーが途中で帰っちゃった年だね
そこからデービスの獲得に成功するんだから何が
幸いするか分からない
あとジャンボ仲根も開花しかけて・・・
惜しい年だった
>>74
それよりマネーに綺麗な部屋与えた方がよかったな
「プロ野球を10倍楽しく見る方法2」のOPで12球団の選手の映像が出るけど
ラストが西武のユニを着た江夏だったな・・
ものすごく違和感があったのを覚えてる
>>80
当時の西武は球界ダントツで派手だったもんな。
レオの帽子だったし、おっさんには似合わないかも。